「計算がどうしても合わない」「文章問題の意味が理解できない」「数字を見るだけで頭が真っ白になる」——。数学に対する強い苦手意識や不安を抱える方は少なくありません。特に、発達障害の特性を持つ方の中には、その困難さが単なる「不得意」ではなく、脳機能の特性に根差している場合があります。この記事では、就労移行支援事業所の視点から、数学への苦手意識の背景を解き明かし、それがキャリア形成にどう影響するのか、そしてどうすればその壁を乗り越えられるのかを具体的に解説します。
発達障害と一口に言っても、その特性は多様です。数学の学習における困難さも、それぞれの特性と深く関連しています。
これらの困難は、本人の努力不足や知能の問題ではなく、脳の働き方の違いによるものです。この事実を理解することが、自分を責めずに前向きな一歩を踏み出すための第一歩となります。
過去の失敗体験や周囲との比較から、「自分は数学ができない」という強い思い込みや恐怖心が生まれることがあります。これを「数学不安」と呼びます。数学不安は、ワーキングメモリの働きを阻害し、本来持っているはずの能力さえも発揮できなくさせてしまう厄介な存在です。
特に、不安を感じやすい傾向のあるASDの方にとって、数学不安は大きな障壁となり得ます。ある研究では、ASDのある青年において、テスト不安が数学の問題解決能力と負の相関関係にあることが示唆されています。つまり、不安が高いほど、数学の成績が下がる傾向が見られたのです。
この悪循環を断ち切るには、単に数学の問題を解くだけでなく、不安を管理し、成功体験を積み重ねて自己肯定感を高めるアプローチが不可欠です。就労移行支援では、このような心理的な側面にも配慮したサポートを行っています。
「数学が苦手だから、自分にできる仕事なんてないのでは…」と不安に思うかもしれません。しかし、結論から言えば、高度な数学を必要としない仕事は数多く存在します。例えば、Webフロントエンド開発やアプリ開発など、論理的思考は重要ですが、複雑な数式を使う場面は限定的です。
重要なのは、「数学=難しい学問」というイメージから一旦離れ、「仕事で使う実践的なツール」として捉え直すことです。
多くの職場で求められるのは、大学で学ぶような抽象的な数学ではなく、「職業数学(Vocational Math)」と呼ばれる実践的なスキルです。これは、業務を円滑に進めるための基礎的な数量的思考力を指します。
実際に、多くの職業訓練校の入校選考では、中学卒業レベルの国語と数学が筆記試験の科目となっています。これは、職業訓練で学ぶ専門技術を習得するための基礎学力として、これらのスキルが重要だと考えられているからです。
基本的な数学スキルや論理的思考力は、特定の職種だけでなく、幅広いキャリアパスの土台となります。これらのスキルを身につけることで、これまで「自分には無理だ」と思っていた分野にも挑戦できる可能性が広がります。
数学スキルは、単に計算ができること以上の意味を持ちます。それは、論理的に考え、問題を解決し、情報を的確に分析する能力の証明であり、多くの業界で高く評価される資質です。
数学への苦手意識を理由に、自らの可能性を狭めてしまうのは非常にもったいないことです。適切な学習戦略とサポートがあれば、誰でも必要なスキルを身につけ、キャリアを切り拓くことができます。
「わかってはいるけど、やっぱり勉強が続かない…」と感じる方も多いでしょう。従来の画一的な学習方法が合わないのは当然です。重要なのは、ご自身の脳の特性に合った方法を見つけることです。ここでは、就労移行支援でも実践されている、科学的根拠に基づいた学習戦略を紹介します。
マルチセンサリー(多感覚)学習とは、視覚、聴覚、触覚、運動感覚など、複数の感覚を同時に使って学ぶ方法です。これにより、情報が脳の様々な領域にインプットされ、記憶に定着しやすくなります。特に、発達障害のある方には非常に有効なアプローチです。
ある研究では、学習障害のある英語学習者に対して、視覚・言語・対話・身体的という4種類の「スキャフォールディング(足場かけ)」を行ったところ、特に身体的な支援が乗法的な思考の理解に最も頻繁かつ効果的に使われたことが示されています。
スキャフォールディングとは、学習者が自力で課題を達成できるように、専門家や教師が一時的に提供する「足場」のようなサポートのことです。特に、ワーキングメモリや注意の切り替えといった実行機能に課題がある場合、このアプローチが有効です。
近年、テクノロジーの進化により、一人ひとりの学習ペースや理解度に合わせた個別学習が容易になりました。AIを活用した学習プラットフォームや、ゲーム感覚で学べるアプリは、楽しみながらスキルを習得するための強力なツールです。
これらの戦略は、単独で使うよりも組み合わせることで、より大きな効果を発揮します。就労移行支援事業所では、専門のスタッフがあなたに最適な学習方法の組み合わせを一緒に考え、サポートします。
就労移行支援事業所は、単に数学を教える場所ではありません。一人ひとりの障害特性やキャリアプランに寄り添い、「働くために必要なスキル」を習得し、希望する仕事に就き、そこで長く活躍し続けることを目的とした総合的なサポートを提供します。
入所すると、まず専門の支援員が面談を行い、あなたの得意なこと、苦手なこと、興味、そして将来の希望などを丁寧にヒアリングします。このアセスメントに基づき、あなただけの「個別支援計画」を作成します。数学に関しても、「まずは計算の正確性を高めたい」「文章問題を解けるようになりたい」「SPI対策をしたい」といった具体的な目標を設定し、達成に向けたオーダーメイドの訓練プログラムを組みます。
職業訓練における技能習得や就職活動は競争ではないので、個人差があっても大丈夫です。他の人と比較しないで、自分のペースで進めていきましょう!
多くの就労移行支援事業所では、基礎学力向上のためのプログラムが用意されています。特に、公文式学習を導入している事業所は全国にあり、その効果が注目されています。
これらのプログラムは、数学スキルを単独の知識としてではなく、働く上で必要な様々なスキルと結びつけて習得することを目的としています。
学習したスキルが実際の仕事で通用するのか、不安に思うのは当然です。就労移行支援では、協力企業での職場実習の機会を提供しています。実習を通して、自分のスキルレベルを確認したり、職場の雰囲気に慣れたり、企業に自分の特性や必要な配慮を伝えたりする練習ができます。
そして、最も重要なのが就職後の「定着支援」です。就職はゴールではなく、スタートです。就職後に生じた業務上の課題や人間関係の悩みについて、事業所の支援員が定期的に面談を行ったり、企業とご本人の間に入って調整したりすることで、安心して働き続けられるようサポートします。実際に、ある事業所の卒業生からは「会社に入って初めて、公文の学習で身につくもの(集中力や挨拶など)の大切さがわかりました」という声が寄せられています。
数学への苦手意識は、発達障害の特性と深く結びついていることが多く、決してあなたの努力不足が原因ではありません。重要なのは、その特性を理解し、自分に合った学習戦略を見つけることです。
悪いのは子どもではない。これをわたしなりに言い換えると、“障害のある方たちが就労できないのは、周りに問題や課題がある”となるでしょうか。
職場で求められるのは、多くの場合、高度な数学ではなく、論理的に考え、問題を解決するための「職業数学」のスキルです。視覚的なツールを使ったり、問題を小さく分解したり、テクノロジーを活用したりと、あなたに合った方法は必ず見つかります。
もし一人で悩んでいるなら、ぜひ就労移行支援事業所を頼ってください。私たちは、あなたの強みを見つけ、苦手な部分を補うための「足場」を一緒に組み立てるパートナーです。アセスメントから個別計画の作成、実践的な訓練、そして就職後の定着支援まで、一貫してあなたをサポートします。
数学への見方を変え、苦手意識を「キャリアを拓くためのスキル」に変える一歩を、私たちと一緒に踏み出してみませんか。