「どうも職場に馴染めない」「曖昧な指示が理解できず、ミスを繰り返してしまう」「悪気はないのに、発言が場違いだと指摘される」。こうした悩みを抱え、もしかしたら自分は発達障害かもしれないと感じている大人が増えています。特に、自閉スペクトラム症(ASD)の特性が比較的目立ちにくい「軽度」の場合、子どもの頃には気づかれず、社会に出てから困難に直面するケースが少なくありません。
この記事では、大人の軽度ASDの特性を詳しく解説するとともに、その特性を「弱み」ではなく「強み」として活かし、自分らしく働くための具体的な方法として「就労移行支援」の活用法を、最新のデータや制度を交えながら包括的にガイドします。
自閉スペクトラム症(ASD)は、生まれつきの脳機能の偏りによって、物事の捉え方や行動パターンに特有の傾向が見られる発達障害の一つです。対人関係の構築やコミュニケーション、特定の物事への強いこだわりといった特徴があります。
まず重要なのは、「軽度ASD」という言葉は正式な医学的診断名ではないという点です。一般的に、ASDの診断基準においてサポートの必要性が3段階(レベル1〜3)で示されるうち、最もサポートの必要性が低い「レベル1(サポートが必要)」の状態を指して使われることが多いです。
「軽度」という言葉から「問題が軽い」と誤解されがちですが、決してそうではありません。周囲からは問題なく社会生活を送っているように見えても、本人はその裏で、人知れず膨大なエネルギーを消費し、多大な努力とストレスを抱えていることが少なくないのです。
軽度ASDの特性は、主に以下の3つの領域で現れます。学生時代は許容されていたことでも、複雑で曖昧なコミュニケーションが求められる大人の社会、特に職場環境で困難として顕在化しやすくなります。
言葉の裏を読む、表情から感情を察するといった非言語的なコミュニケーションが苦手な傾向があります。
特定の物事に対して非常に強い興味やこだわりを持つ一方で、それ以外のことには無関心という傾向が見られます。イマジネーションの障害とも言われます。
特定の音、光、匂い、触覚などに対して、極端に敏感(過敏)であったり、逆に鈍感(鈍麻)であったりします。
これらの特性は、大人の社会生活、特にチームワークや臨機応変な対応が求められる職場で、さまざまな困難を引き起こす原因となります。
軽度ASDの人が職場で最も苦労するのがコミュニケーションです。悪気なく相手を不快にさせてしまったり、「KY(空気が読めない)」と評価されたりすることで、人間関係の構築に悩み、孤立してしまうことがあります。
仕事そのものをこなす能力は高くても、働き方の面で困難が生じることがあります。
職場で繰り返し失敗体験を重ね、周囲から理解されずに叱責され続けると、自己肯定感が著しく低下します。こうしたストレスが積み重なることで、本来のASDの特性に加えて、精神的な不調をきたす「二次障害」を引き起こすリスクが高まります。
二次障害の例:
- 適応障害
- うつ病、双極性障害
- 不安障害、パニック障害
- 強迫性障害
- 摂食障害
- 依存症(アルコール、薬物、ゲームなど)
- ひきこもり
二次障害を発症すると、治療がより複雑になり、社会復帰にも時間がかかります。そうなる前に、自身の特性を正しく理解し、適切なサポートにつながることが極めて重要です。
こうした困難を一人で乗り越えるのは容易ではありません。そこで大きな助けとなるのが「就労移行支援」です。これは、障害者総合支援法に基づき、障害のある方が一般企業へ就職し、働き続けることをサポートする福祉サービスです。
障害者手帳を持っていない場合でも、医師の診断書や意見書があれば、自治体の判断によって利用できる可能性があります。
就労移行支援事業所では、最長2年間(自治体の判断により延長可能)、一人ひとりの特性や目標に合わせたオーダーメイドの支援を受けることができます。サービスは大きく4つの段階に分かれています。
多くの就労移行支援事業所では、「職業準備性ピラミッド」という考え方に基づいた支援を行っています。これは、働くために必要な能力を階層的に捉えたものです。専門的なスキル(職業適性)を身につける前に、その土台となる健康管理や日常生活管理、対人スキルなどを安定させることが、長く働き続けるためには不可欠であるという考え方です。
軽度ASDの人は、特定のスキルは高くても、このピラミッドの下層部分(健康管理、対人スキルなど)に課題を抱えていることが多いため、就労移行支援を通じて土台からしっかりと固めていくことが、就職後の安定につながります。
働くための支援には他にも種類があります。それぞれの違いを理解し、自分に合ったサービスを選ぶことが大切です。
ASDの特性は、見方を変えれば大きな「強み」になります。就労移行支援などを活用し、自分の特性と仕事内容・職場環境をうまくマッチングさせることが、職業生活での成功の鍵です。
ASDの人が持つ以下のような特性は、特定の業務において高いパフォーマンスを発揮する可能性があります。
向いている可能性のある職種の例:
- IT・技術職:プログラマー、システムエンジニア、Webデザイナー、テスター、データサイエンティスト
- 事務・管理職:経理、法務、データ入力、品質管理、校正・校閲
- 研究・専門職:研究者、学芸員、図書館司書、翻訳
- 技能職:職人、製造業のライン作業、精密機器の組み立て
重要なのは、職種だけでなく「職場環境」です。業務指示が明確で、個人の裁量が少なく、ルーティンワークが中心の仕事や、静かで一人で集中できる環境が適していることが多いです。
障害者雇用促進法では、企業に対して、障害のある人が働く上での障壁を取り除くための「合理的配慮」を提供することが義務付けられています。これは、本人の能力を最大限に発揮させるための重要な取り組みです。
軽度ASDの人に対する合理的配慮の例としては、以下のようなものが挙げられます。
就労移行支援事業所の支援員は、本人に代わって企業にこれらの配慮を伝え、調整する役割も担ってくれます。
近年、日本の障害者雇用を取り巻く環境は大きく変化しています。法制度の改正により、企業の雇用義務が強化され、ASDを含む精神・発達障害のある人々の就労機会は確実に広がっています。
企業に義務付けられている障害者の法定雇用率は、段階的に引き上げられています。これにより、特にこれまで障害者雇用に積極的でなかった中小企業においても、採用ニーズが高まっています。
さらに、2024年4月からは、週の労働時間が10時間以上20時間未満の精神障害者・重度身体障害者・重度知的障害者も、実雇用率に0.5人として算定可能になりました。これにより、フルタイム勤務が難しい人でも、より柔軟な働き方を選択しやすくなっています。
就労移行支援の有効性は、データにも表れています。就労移行支援事業所を利用した人の就職率は、他の福祉サービスと比較して高い水準にあります。
一方で、精神障害者全体で見ると、1年以内に離職する割合が約5割にのぼるというデータもあり、就職後の「定着支援」の重要性がますます高まっています。就労移行支援は、この定着支援までを一貫して提供する点で、非常に価値のあるサービスと言えます。
就労移行支援事業所以外にも、悩みを相談できる公的な窓口は多数存在します。どこに相談すればよいか分からない場合は、まずこれらの機関を訪ねてみることをお勧めします。
大人の軽度ASDは、決して「治す」べきものではありません。それは、その人だけが持つユニークな「特性」です。その特性は、環境や関わり方次第で、困難の原因にもなれば、比類なき「強み」にもなり得ます。
職場で困難を感じているなら、それはあなたの能力が低いからではなく、単に特性と環境がミスマッチを起こしているだけかもしれません。大切なのは、一人で抱え込まず、自分の特性を正しく理解し、適切なサポートを求めることです。
就労移行支援は、そのための最も強力なツールの一つです。自己理解を深め、働くためのスキルを身につけ、自分に合った職場環境を見つけ、そして長く働き続けるまで、専門家が伴走してくれます。
もしあなたが、あるいはあなたの大切な人が、原因の分からない生きづらさや働きづらさを感じているなら、まずは一歩を踏み出し、専門機関に相談してみてください。そこから、あなたの特性が輝く、新しいキャリアが始まるかもしれません。