「真面目に頑張っているのに、なぜか職場で浮いてしまう」「他の人には簡単なことが、自分にはとても難しい」——。大人のASD(自閉スペクトラム症)当事者の中には、このような「働きづらさ」を抱え、自信を失ってしまう方が少なくありません。これは決して本人の努力不足や甘えが原因ではなく、脳の情報処理や感じ方の違いから生じるものです。
この記事では、ASD当事者が職場で経験しがちな「あるある」な困りごとを深掘りし、その背景にある特性を解説します。さらに、その困難を乗り越え、自分らしく働くための具体的な選択肢として、国が定める福祉サービス「就労移行支援」に焦点を当てます。一人で悩みを抱え込まず、適切なサポートを得ることで、あなたの「働きやすさ」を見つけるための一歩を踏み出しましょう。
ASDの方々が職場で直面する困難は、しばしば「個人の性格」や「努力不足」と誤解されがちです。しかし、その多くはASDの特性に起因しています。ここでは、代表的な「仕事あるある」を3つの側面から解説します。
ASDの特性を持つ方は、言葉の裏にある意図や相手の感情を読み取ることが苦手な場合があります。そのため、以下のような状況が生まれやすくなります。
これらの行動は、悪気があってのことではなく、正直さや真面目さの裏返しであることが多いです。しかし、周囲からは「失礼」「協調性がない」と誤解され、人間関係のストレスにつながることがあります。
ASDの方は、具体的で明確なルールや手順がある状況で力を発揮しやすい一方、曖昧さや急な変更に弱さを感じることがあります。
「適当に」「いい感じに」といった曖昧な指示では、何をすべきか分からず混乱してしまいます。また、一度決めた手順やルールへのこだわりが強く、予期せぬ変更に柔軟に対応することが難しい場合があります。
多くの人が気にならないような外部からの刺激に対して、ASDの方は非常に敏感に反応することがあります。これを感覚過敏と呼びます。
これらの刺激に常に晒されることで、本人が気づかないうちに膨大なエネルギーを消耗し、一日の終わりにはひどく疲弊してしまいます。この「見えない疲労」が積み重なることで、心身の不調や二次障害(うつ病や不安障害など)につながるケースも少なくありません。
「頑張ってもうまくいかない」という経験が続くと、転職を繰り返してしまうことがあります。その根本的な原因は、本人の能力不足ではなく、「個人の特性」と「職場環境」のミスマッチにあることがほとんどです。
ASDの特性は、特定の業務において大きな強みとなります。重要なのは、自分の特性を理解し、それを活かせる職種や環境を選ぶことです。
厚生労働省の調査によると、発達障害のある方が就いている職業は「事務的職業」が最も多く、次いで「専門的・技術的職業」となっています。これは、ASDの特性が以下のような仕事で活かされやすいことを示唆しています。
もちろん、これはあくまで一般的な傾向です。大切なのは、職種名だけで判断せず、具体的な業務内容や求められるスキルが自分の特性と合っているかを見極めることです。
「仕事が続かない」という悩みを断ち切るためには、まず自分自身を深く理解することが不可欠です。過去の経験を振り返り、「何が得意で、何が苦手か」「どんな環境なら安心できるか」「何にストレスを感じるか」を客観的に分析してみましょう。
自己理解を深めるためには、今まで辞めた職場環境や仕事内容の「よかったところ」「疲れやすかったところ」などをまとめてみるといいでしょう。
しかし、一人で自己分析を行うのは難しい場合もあります。客観的な視点や専門的な知識を持つ第三者に相談することで、自分では気づかなかった強みや課題が見えてくることがあります。その有力な選択肢が、次章で紹介する「就労移行支援」です。
「今の働き方が辛い」「自分に合う仕事がわからない」と感じたとき、一人で抱え込む必要はありません。公的なサポートを活用することで、道は拓けます。その中でも、就職に特化したサービスが「就労移行支援」です。
就労移行支援とは、障害者総合支援法に基づき、障害や難病のある方が一般企業へ就職し、働き続けることをサポートする福祉サービスです。全国に事業所があり、職業訓練や就職活動支援、就職後の定着支援などを提供しています。
就労移行支援は、単に就職先を見つけるだけでなく、自分に合った働き方を見つけ、安定して働き続けるための土台作りをする場所です。
就労移行支援を利用するには、いくつかの条件がありますが、ASD(発達障害)と診断されている方も対象となります。
基本的に以下の条件を満たす方が対象です。
重要な点として、障害者手帳を持っていなくても、医師の診断書や意見書があれば利用できる場合があります。 実際に、手帳なしで利用している方も多くいます。また、現在休職中の方も、自治体の判断や一定の条件を満たせば利用可能です。
手続きに不安がある場合も、事業所のスタッフがサポートしてくれるので安心です。
就労移行支援事業所では、一人ひとりの特性やペースに合わせた個別支援計画に基づき、就職准备から職場定着までを体系的にサポートします。ここでは、その流れを3つのステップで紹介します。
就職活動を始める前に、まずは働くための土台を整えることが重要です。この段階では、安定して通所することを目指し、生活リズムを整えることから始めます。
自分の特性や目指す方向性が見えてきたら、就職に必要なスキルを身につけていきます。多くの事業所では、多様なプログラムが用意されています。
準備が整ったら、いよいよ就職活動です。就労移行支援では、一人ひとりに寄り添った手厚いサポートが受けられます。
近年、法律の改正などにより、障害のある方が働きやすい社会を目指す動きが加速しています。当事者の努力だけでなく、企業側の理解と協力も不可欠です。
障害者雇用促進法は定期的に改正されており、企業に課せられる障害者雇用義務は年々強化されています。特に近年の改正は、大きな変化をもたらしました。
グラフが示すように、民間企業の法定雇用率は段階的に引き上げられています。2024年4月には2.5%に、さらに2026年7月には2.7%になる予定です。これにより、障害者雇用が義務付けられる企業の範囲も広がり、より多くの雇用機会が生まれることが期待されます。
また、2024年4月からは、週10時間以上20時間未満の短時間労働者も雇用率に算定されるようになるなど、多様な働き方が認められるようになってきています。
2024年4月1日から、事業者による障害のある人への合理的配慮の提供が義務化されました。 合理的配慮とは、障害のある人が他の人と同じように働けるよう、個々の状況に応じて職場環境や業務方法を調整することです。ASD当事者に対しては、以下のような配慮が考えられます。
右のグラフは、企業が発達障害者を雇用する上での課題を示しています。「適当な仕事があるか」が最大の課題となっており、業務の切り出しや設計が重要であることがわかります。しかし、これらの配慮は、ASD当事者だけでなく、他の従業員にとっても働きやすい環境づくりにつながるものです。
適切な環境と配慮があれば、ASDの特性は唯一無二の「強み」となり得ます。実際に、多くの当事者が専門性を発揮して活躍しています。
事例1:ITエンジニアとしての活躍
Aさん(28歳)は、プログラミングへの強い興味と集中力を活かし、IT企業に就職。バグ修正やコード最適化の業務で高い成果を上げています。職場では、視覚的な業務指示ツールや静かな作業環境が提供されています。
事例2:データ分析専門家としてのキャリア
Bさん(35歳)は、数字やパターンの分析に優れた能力を活かし、金融機関のデータ分析部門で活躍。その詳細な分析能力と正確性が高く評価され、重要なプロジェクトを任されています。
これらの事例は、企業が本人の特性を正しく理解し、それを活かせる業務を任せることで、当事者と企業の双方にとって大きなメリットが生まれることを示しています。MicrosoftやSAPなどのグローバル企業では、自閉症の方を積極的に採用するプログラムを導入し、その能力を企業価値の向上につなげています。
大人のASD当事者が抱える仕事の「あるある」な悩みは、決して個人の問題ではありません。それは、特性と環境のミスマッチから生じる構造的な課題です。しかし、その特性は、見方を変え、適切な場所で活かせば、誰にも真似できない強力な「武器」になります。
もしあなたが今、「仕事が辛い」「自分は社会不適合者なのかもしれない」と悩んでいるなら、どうか一人で抱え込まないでください。就労移行支援のような専門機関は、あなたの伴走者です。客観的な自己分析、スキルの習得、そしてあなたに合った職場探しまで、専門家チームが一体となってサポートしてくれます。
勇気を出して相談という一歩を踏み出すことが、あなたらしい「働きやすさ」を見つけ、自信に満ちた職業人生を歩み始めるための、最も確実な道筋となるでしょう。