「周りに合わせているだけなのに、なぜか異常に疲れる」「真面目にやっているつもりでも、ケアレスミスや人間関係のトラブルで仕事が長続きしない」——。こうした悩みを抱え、自身の性格や努力不足を責め続けている成人女性は少なくありません。しかし、その「見えない生きづらさ」の背景には、これまで見過ごされてきたASD(自閉スペクトラム症)の特性が隠れているケースが、近年注目を集めています。
かつて発達障害は、主に男性や子どもの問題として認識されがちでした。しかし研究が進むにつれ、成人、特に女性においても、その特性が社会生活や職業生活に大きな影響を及ぼしていることが明らかになってきました。女性の場合、幼少期から周囲の期待に応えようと、無意識のうちに自身の特性を隠す「カモフラージュ」を行う傾向があります。表面上は問題なく社会に適応しているように見えるため、本人も周囲も困難の根本原因に気づきにくく、適切な支援につながるのが遅れるという課題がありました 。
この状況は、二つの側面から重要な転換点を迎えています。一つは、当事者や社会の認知向上により、「もしかして私も?」と自身の特性と向き合い、解決策を模索する女性が増えていること。もう一つは、労働力人口の減少とダイバーシティ&インクルージョンの推進を背景に、企業がこれまで見過ごしてきた多様な人材の活躍に期待を寄せ始めたことです。特に、段階的に引き上げられる障害者法定雇用率は、企業にとって障害者雇用を「CSR(企業の社会的責任)」から「経営戦略」へと位置づける大きな動機となっています。
本記事は、このような変化の潮流の中で、自身のASD特性に起因する「働きづらさ」に悩む成人女性、そのご家族、そして彼女たちの可能性を信じ、共に働く未来を模索する企業担当者に向けて執筆されました。この記事の目的は、困難の根本原因であるASD特性への正しい理解を促し、公的な福祉サービスである「就労移行支援」を羅針盤として、一人ひとりが自分らしく、持てる力を最大限に発揮しながら働くための具体的かつ実践的な道筋を示すことです。生きづらさを「弱み」として抱え込むのではなく、自己理解と適切な支援を通じて「働く強み」へと転換していくための、確かな一歩を共に踏み出しましょう。
長年抱えてきた仕事上の困難が、実はASDという脳機能の特性に起因するものだった——。この事実にたどり着くことは、自己否定の連鎖を断ち切り、前向きな対策を講じるための重要な第一歩です。この章では、なぜ成人女性のASD特性が見過ごされやすいのか、そして具体的にどのような困難として職場に現れるのかを深く掘り下げていきます。
成人女性のASDが「見えない障害」とも言われる背景には、主に二つの要因が複雑に絡み合っています。
女性のASD当事者は、社会的な同調圧力を敏感に感じ取り、幼い頃から「普通」であろうと努める傾向が強いと言われています。具体的には、周囲の人の表情や会話のパターンを観察・模倣し、あたかも自然にコミュニケーションが取れているかのように振る舞う「カモフラージュ(擬態)」という行動です。例えば、会話中は意識的に笑顔を作り、相手の目を見て相槌を打ち、興味があるフリをする。しかし、これは本質的な理解を伴わない表面的な適応であり、脳にとっては膨大なエネルギーを消費する高度な知的作業です。
その結果、勤務中はなんとか取り繕えても、帰宅した途端にエネルギーが尽き果てて動けなくなったり、週末は誰とも会わずにひたすら心身の回復に努めなければならなかったりします。この過剰な適応努力が慢性的な疲労やストレスとなり、うつ病や不安障害、適応障害といった二次障害を引き起こすリスクも高まります。周囲からは「少し変わっているけど真面目な人」「努力家」と評価される一方で、本人の内面では深刻な生きづらさが蓄積していくのです。
もう一つの要因は、診断の難しさです。従来のASDの診断基準(DSM-5など)は、歴史的に男児の研究に基づいて作成された側面があり、女性特有の特性の現れ方を捉えきれない場合があります。
例えば、ASDの特性である「限定された興味やこだわり」は、男性では電車や機械など特定のモノに向かいやすいのに対し、女性ではアイドルやキャラクターへの熱中(推し活)、特定の人間関係への執着、物語の世界への没入といった、より社会的に受容されやすい形で現れることがあります。これらは「趣味」や「情熱」として認識され、ASDの特性とは結びつけられにくいのです。
また、カモフラージュが巧みであるため、医療機関の短い診察時間では本質的な困難が伝わりにくく、「繊細な性格」「内気なだけ」と見過ごされてしまうことも少なくありません。このように、本人の過剰な適応努力と、社会や医療の側の認識のズレが、多くの女性を適切な診断や支援から遠ざけているのが現状です。
これらの「見えにくい」特性は、職場の様々な場面で具体的な困難として表面化します。これらは本人の能力や意欲の問題ではなく、脳の情報処理の仕方の違いによるものです。
多くの人が気にも留めないような五感への刺激が、ASDの特性を持つ人にとっては耐え難い苦痛となることがあります。これを「感覚過敏」と呼びます。
ここで最も重要なのは、これらの困難が「本人の甘え」や「努力不足」、「わがままな性格」などによるものでは断じてなく、生まれ持った脳の機能特性に起因するものであると認識することです。長年の自己否定から抜け出し、「私のせいではなかった」と受け入れること。それが、具体的な対策を考え、自分に合った働き方を見つけるための、最も重要で力強い第一歩となるのです。
自身の特性を理解した次に必要なのは、一人で抱え込まず、専門的なサポートを活用することです。障害者総合支援法に基づいた公的な福祉サービスの中に、ASDの特性を持つ女性が一般企業で働くための強力な味方となる「就労移行支援」という制度があります。この章では、その内容と、類似サービスとの違い、そして2025年から始まる新しい制度について解説します。
就労移行支援とは、簡単に言えば「一般企業への就職を目指す、障害や難病のある方のための総合的なトレーニングセンター」です。単に仕事を紹介するだけでなく、就職の準備から就職活動、そして就職後の定着までを一貫してサポートします。
障害のある方向けの就労支援には、就労移行支援の他にもいくつかの種類があります。目的が異なるため、自分に合ったサービスを選ぶことが重要です。
2022年の障害者総合支援法改正により、2025年10月1日から「就労選択支援」という新しい制度がスタートします。これは、就労移行支援や就労継続支援といったサービスを利用する「前」の段階で、自分に本当に合った働き方や支援サービスは何かを見極めるための制度です。
具体的には、1ヶ月程度の短期間、実際の作業などを体験(アセスメント)しながら、支援員と共に自分の得意・不得意、希望する働き方などを整理します。これにより、「とりあえず就労移行支援に通い始めたけれど、自分には合わなかった」「本当はB型でのんびり働く方が向いていたかもしれない」といったミスマッチを防ぎ、より納得感のある選択ができるようになります。
2025年10月以降、就労継続支援B型を利用したい人は原則としてこの就労選択支援を利用することになります。就労移行支援やA型についても、将来的には同様に原則利用となる方向で検討されています。これは、支援の入り口で丁寧なマッチングを行うことが、長期的な就労と自立にとっていかに重要であるかを国が認識している証左と言えるでしょう。
就労移行支援は、単にスキルを学ぶ場ではありません。専門家の客観的な視点を得ながら自己理解を深め、同じような悩みを持つ仲間と出会い、一人では困難だった就職活動をチームで乗り越えていくための「基地」のような存在です。そして、就職というゴールだけでなく、その後の安定した職業生活までを見据えた包括的なサポートが、ASDの特性を持つ女性にとって大きな安心材料となるのです。
就労移行支援という制度を知っても、「具体的に何をすればいいのか」「自分に使いこなせるだろうか」と不安に思うかもしれません。この章では、ASDの特性を持つ女性が、この制度を最大限に活用し、自分らしい働き方を見つけるための5つの具体的なステップを、成功事例の要素を交えながら解説します。
就労移行支援の成果は、どの事業所を選ぶかに大きく左右されます。全国に数多くある事業所は、それぞれに特色や強みがあります。自分に合った「パートナー」を見つけることが、成功への第一歩です。
まずは市区町村の障害福祉窓口や、インターネットで情報を集め、気になる事業所に問い合わせて見学の予約をすることから始めましょう。
事業所の利用を開始したら、まず取り組むべきは支援員との面談を通じた徹底的な自己分析です。これは、企業に提出するための「自分の取扱説明書(ナビゲーションブック)」を作成するプロセスです。長年一人で抱えてきた困難や苦手なことを言語化し、客観的に整理していきます。
このプロセスは、単に弱みをリストアップするものではありません。「なぜそれが苦手なのか(特性)」と「どうすればカバーできるのか(対策・必要な配慮)」をセットで考えることが重要です。2024年4月から企業に法的義務化された「合理的配慮」を求める際の、具体的な根拠となります。
<「自分の取扱説明書」作成例>
×「電話応対が苦手です」
○「【課題】聴覚情報処理が苦手で、口頭での指示や複数の情報を一度に記憶するのが困難です。そのため、電話応対で聞き漏らしや伝達ミスが起こりやすいです。
【希望する配慮】可能であれば、お客様とのやり取りはメールやチャットを主とさせていただけますと幸いです。社内の指示についても、口頭だけでなくテキストで残していただけると、ミスなく業務を遂行できます。」
このように、自分の特性を客観的に分析し、具体的な代替案や配慮を提示することで、企業側も「どうすればこの人が能力を発揮できるか」を理解しやすくなります。支援員という第三者の視点を借りることで、自分では気づかなかった強みや、効果的な対策が見つかることも少なくありません。
自己分析で明らかになった課題と目標に基づき、個別支援計画に沿ったトレーニングが始まります。これは、弱点を補い、強みを仕事に活かせるレベルまで引き上げるための重要な期間です。
多くの事業所では、発達障害の特性に合わせた様々なプログラムが用意されています。ある事例では、複数のタスクにパニックになりがちだった女性が、支援員のアドバイスを受けながら「メモを取る訓練」を繰り返しました。最初は要点が抜けたり走り書きになったりしていましたが、次第に1枚の紙に要点を整理できるようになり、タスク管理への自信を深めていきました。
ASDの特性は、弱みであると同時に大きな強みにもなり得ます。特定の分野への高い集中力、正確性、論理的思考、パターン認識能力などは、多くの職場で求められる資質です。就労移行支援では、これらの強みを専門スキルに結びつける職業訓練を受けることができます。
対人関係は苦手でも、特定の専門分野で高い能力を発揮する女性が、こうした訓練を経て「専門職」として活躍する事例は数多く報告されています。
トレーニングで自信とスキルを身につけたら、いよいよ就職活動です。ここでも就労移行支援のサポートが大きな力となります。重要なのは、給与や企業の知名度といった条件だけでなく、「自分と職場とのマッチング」を最優先に考えることです。
「内定はゴールではなく、スタートである」——これは就労支援の現場でよく言われる言葉です。実際に働き始めると、訓練期間中には想定しなかった新たな壁にぶつかることが少なくありません。人間関係の些細なすれ違い、業務量の調整、体調の波など、一人で抱え込むと大きなストレスとなり、早期離職の原因になりかねません。
ここで生命線となるのが、就労移行支援事業所による「定着支援」です。就職後、原則として6ヶ月間、支援員が定期的に本人と連絡を取ったり、職場を訪問したりします。そして、本人が抱える悩みや困りごとをヒアリングし、上司や人事担当者に直接言いにくいことを代弁したり、解決策を一緒に考えたりと、本人と企業の間で橋渡し役を担ってくれます。このサポートがあることで、小さなつまずきが大きな問題に発展する前に対処でき、安心して新しい職場に慣れていくことができるのです。なお、6ヶ月経過後もサポートが必要な場合は、「就労定着支援」という別のサービスに切り替えて、最長3年間の支援を受けることも可能です。
障害者雇用は、もはや単なる法的義務の遵守や社会貢献活動ではありません。労働力人口が減少する現代において、多様な人材の能力を最大限に引き出すことは、企業の持続的な成長に不可欠な経営戦略です。この章では、ASDの特性を持つ女性の雇用を成功させ、彼女たちを貴重な戦力として活かすためのポイントを解説します。
障害者雇用促進法に基づき、民間企業に義務付けられている法定雇用率は、段階的に引き上げられています。2024年4月には2.3%から2.5%へ、さらに2026年7月には2.7%へと上昇する予定です。これにより、雇用義務の対象となる事業主の範囲も、従業員40.0人以上(2025年4月時点)、37.5人以上(2026年7月時点)へと拡大します。法定雇用率の未達成は、不足人数に応じた納付金(事実上の罰金)の支払い義務に繋がるため、計画的な採用活動が全ての企業にとって喫緊の経営課題となっています。
少子高齢化が進む日本では、労働力の確保が深刻な課題です。働く意欲と能力がありながら、特性への理解や配慮が不足しているために力を発揮できていない障害者は、企業にとって貴重な潜在的人材です。特にASDの特性を持つ人々は、特定の業務において定型発達者以上の集中力や正確性を発揮することがあります。彼女たちの雇用は、単なる「コスト」ではなく、組織の多様性を高め、新たな価値を創造する「未来への投資」と捉えるべきです。
自社だけで障害者雇用を進めるには、専門知識やノウハウの不足という壁があります。そこで強力なパートナーとなるのが、本記事で解説してきた「就労移行支援事業所」です。
ASDの特性を持つ女性が安心して能力を発揮するためには、いくつかの環境調整や業務上の工夫が効果的です。これらは「合理的配慮」と呼ばれ、2024年4月から企業に提供が義務化されています。特別な設備投資が必要なものばかりではなく、少しの工夫で実践できるものがほとんどです。
これらの配慮は、ASD当事者だけでなく、職場全体のコミュニケーションを円滑にし、業務の標準化や効率化にも繋がるという副次的効果も期待できます。
障害者を雇用し、働きやすい環境を整備する企業に対しては、国から様々な助成金が支給されます。これらを活用することで、採用や環境整備にかかるコスト負担を軽減できます。
これらの制度の詳細は、ハローワークや高齢・障害・求職者雇用支援機構のウェブサイトで確認できます。就労移行支援事業所が申請をサポートしてくれる場合もあります。
本記事では、ASD(自閉スペクトラム症)の特性を持つ成人女性が直面する「見えない生きづらさ」の正体から、その困難を乗り越え、自分らしく働くための具体的な道筋として「就労移行支援」の活用法までを、多角的に解説してきました。
改めて、重要なポイントを振り返ります。
もしあなたが今、仕事のことで深く悩み、未来に希望を見出せずにいるのなら、どうか「私のせいだ」と自分を責めることをやめてください。その生きづらさは、あなただけのせいではありません。そして、あなたは一人ではありません。
この記事を読んだことが、ほんの小さなきっかけで構いません。まずは、お住まいの地域の「発達障害者支援センター」に電話をしてみる。あるいは、気になる就労移行支援事業所のウェブサイトを覗いて、見学を申し込んでみる。その小さな一歩が、あなたの「働く未来」を大きく拓く、確かな一歩となるはずです。
そして、企業が個々の特性を「違い」として尊重し、誰もが持てる力を最大限に発揮できる環境を整えること。当事者が適切な支援とつながり、自信を持って社会に参加すること。その両輪が噛み合ったとき、私たちは真の「共生社会」の実現へと、また一歩近づくことができるでしょう。